ロンドンと東京

2005-06-04 : , : minorio : 20 views

両方の都市での生活を比べようとすると、どうしても英国と日本の文化的環境の違いに言及せざるを得ない。

東京に比べてロンドンの人々はよりリラックスしてそれぞれが好きなように行動しているように見える。一方日本人には周りの人々とあまり大きく違わないよう常に気を配っているようなところがある。こういう日本人独特のメンタリティは、皆が同じ価値観を共有できるはずだという前提から生まれて来たのだと思う。実際、ロンドンの住人の多様さに比べれば日本人はみな似たもの同士だ。ロンドンには様々な人種が住んでおり、それぞれの文化的背景は大きく異なる。そこで他人の価値観についてとやかく言うことはしないのが彼らの基本的な態度になったようだ。もちろん共通の常識のようなものはあるが、それも場所によって結構違っているように思う。かなり臨機応変(というか適当)だ。でも明らかに常識はずれな迷惑行為に対してはあからさまに呆れた顔をして見せ、ときには周りの人々に愚痴をこぼす。ただケンカまではせず、呆れた人だねえと言って、それでおしまいという感じ。価値観が違うのだからケンカをしてもラチが開かないと思っているような感じだ。
日本の場合は基本的に全員がほぼ同じ常識を共有しているべきだというプレッシャーがあるように思う。たとえ自分の価値観がその常識とずれていても、表面上はそれを隠すのが日本人的だ。

こういう違いはコミュニケーションのやり方にも現れてくるようだ。ロンドンの人々はお互いの考え方が非常に異なっているという前提に立って、少しの共通点が見つかればそこを手がかりに関係をつくるように思える。日本人の場合はもともと価値観の共有ができているものという前提があり、いくらかでも意見の合わない部分があると「この人とは馬が合わない」と全面的に拒絶してしまう傾向がある。あるいは全員が受け入れるべき単一の常識が存在するものと信じていると言うべきか。自分の信じるその常識に照らしてみて外れていると思う人のことを拒絶してしまうのだ。

と、かなり冗長になってしまったが、ロンドンは東京に比べて明らかにストレスが少ない。それには上に述べたようなことの他にも街の構造がかなり関係しているように思う(ここから少し建築寄りの話になる)。
すなわち庭や公園(Garden, Park, Square, Court)の存在だ。私有の庭も多いのだけど、とにかく至るところに緑地がちりばめられていて、ちょっと歩けばすぐに芝生やベンチが見つけられる。それに樹木が一様に巨大なのだ。樹齢100年を越えているだろうと思われる巨樹がいくらでもある。こうした緑地には鳥やリスなども当たり前のように住んでいて和む。人々は芝生に寝ころんだりジョギングをしたりランチを食べたり読書をしたりとそれぞれ気ままに利用している。犬を散歩させている人もいるが、糞はひとつも落ちていない(これは共通の常識なのかも)。
東京ではショッピングをしていても休憩できる場所はカフェぐらいしかなく、そこにも行列が出来ていたりすることを考えると、こうした気持ちのいい公園が誰でも無料で使えるのはとてもうらやましい。

建築について思ったことは、こうした気持ちよさを人々にもたらす空間こそ、建築家が設計すべきものなのではないかということだ。デザインの新しさおもしろさを競うのもいいけれど、もっと人が気持ちよくいられる場所が、東京のような都市にはとても求められているように思う。建築を考えるときにそういう視点もあってもいいなと感じた。

建築家は人を幸せにすることにもっと一生懸命になったほうがいいんじゃないだろうか?建築業界でのポジション取りにばかり熱心になって、難解な議論やヘンテコな建物ばかり展開していると、そのうち社会から必要とされない職業になってしまう気がする。現に設計料が非常に安くなってしまっていることの理由はそこにあるのではないかとさえ僕は考えているのだ。人々に理解され、大いに喜ばれるような空間をつくってこそ、立派な建築家と言えるのではないだろうか。

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